2023/03/02

いいものを見たり聞いたりすると、「うわ、自分もこれやりたいなあ」って思う。

最近は仕事柄よく新聞を読むので、各全国紙の新聞歌壇を読むのが密かな楽しみ。色々と方向性はあるけれど、毎日歌壇が一番今っぽい短歌が多い気がする。きっとこのあたりは選者によるところが大きいのかもしれないが、毎日歌壇の選者は今っぽい短歌を選ぶ人が他より多い、気がしてならない。

小説でも短歌でも、いいものを見ると当然火がつく。自分もこれくらいできるはず、やりたいつくりたい、そういう気持ちがぶわっと湧いて、ただその後に一瞬で消える。

書きたいと思えば思うほど、書きたいことが自分の中にあまりないことに気づく。書きたい気持ちばかりが先行して、肝心の中身が伴わない。空回りといってもおかしくない。

書きたいものが無いからって何も生み出さない日々を何日も何日も何日も過ごして、そうして書きたい気持ちが徐々に徐々になくなっていくのを感じて、ああまたいつも通りって。でも心のなかで、何も書いていない自分が嫌いになっていってそれでまたぼんやりなにか書きたい気持ちだけがくすぶったままでいる。

お手洗いで手を洗いながら、オフィスの廊下をぼんやり歩きながら、駅で帰りの電車を待ちながら、どうしてこんなにも書きたいものが無いのか考えて、考えた結果、自分の中身がからっぽだったことに気がついた。ただ漠然と日々を過ごすだけで、自分の中に積み重なるものはなにもなかった。昔々に積み重ねたものは、とうの昔に吹き飛んでしまった。

自分には何もないと薄ぼんやりと思っていて、でもその裏ではいやきっとほんとうはそんなことなんて無いんだ、きっと何かあるはずだできることがあるはずだって信じていて、でも何もない空っぽな自分が真実で、それを裏付けるようにこの書きたいけど書けない今の自分がいて、駅から自宅までの道を歩きながら数度なきそうになる。