2022/08/16

 

原神のキャラクターであるところの雷電将軍、あまりにも良すぎる。

「永遠」を希求するその強い意志

「何か」に強烈に惹かれ、それを強い意志を持って追い求める人は良い。そういう姿にあこがれるし、その姿を一生見ていたいと思う。自分にとってそれは姉らしさを求めてギターを手にした氷川紗夜で、誰より小さいからこそ誰より早く高く飛ぶことを願い、そこに連れて行ってくれるセッターを求めた日向翔陽で、大切なものを失いたくないがために、時間の流れの中における「不変」によって成立する「永遠」を求めた雷電将軍である。

八重神子という存在

友人であり眷属。大事なことも他愛もないことも、もっと気軽に話せたに違いない友人でありながら彼女の決めたことに対して、進言なんてできる立場ではない「眷属」。もっとも近しい立場でありながら、一番遠かった存在。

眷属だから彼女の決めたことに何も言えず、理想のため孤独であろうとする彼女を止めることもできず、寂しいんじゃないかそろそろ出てきたらどうかと、こちらへ誘い出すことすらままならない。かといって「私はさみしい」と打ち明ける素直さを、神子はきっと持ち合わせていない。

雷電将軍の「子供らしさ」

一度決めたことをめったに曲げない「頑固さ」、自らの信念のためなら自らの全てをささげることさえいとわない「自己犠牲」、永遠を求めるために外に出たいのにも関わらず一心浄土に閉じこもってしまった一種の「自虐さ」、そして何よりそのことを友である自分への相談なしで決めたことに対して、ある種の皮肉も込めて神子は「子供っぽい」と評価するのではないだろうか。

眷属であり友人でもあるのだから、せめて相談くらいしてほしいと思うがゆえの「子供っぽい」だと信じたい。

妖狐の記憶

人の織り成す営みを見ることに飽きないからこそ神子の好きなものには「人の世」があるわけだけど、鎖国、目狩り令の施行で人の願いは薄れ国民の営みは過去に比べると減ったに違いない。それでも神事を通し何百年と稲妻を見下ろしその趨勢を事細かに覚えているのは、いつか雷電影に再び会えることを願い、ずっと一人だった彼女にことの顛末を伝えたいからに違いない。そうでなければこの数百年の稲妻を覚えておく理由も、「話したいことが山ほどある」と嬉しそうに告げる理由もなく、「妖狐は記憶力が良い」は言い訳に過ぎない。

すがたかたちの変化によらない本質こそ永遠

不変の維持のために、犠牲になったものたちを弔うには随分と長い時間がたったように思うし、仮に今そうしたところできっと今更と思う。現在の稲妻と向き合い「永遠」の価値観を更新し、永遠に続く稲妻の希望を絶えず臣民に見せる、新しい雷電将軍。

儚さの象徴である花火と、記憶、記録

花火それ自体は打ち上ればすぐに消えてしまう、まさに永遠とは対極にある儚さそのものであることは疑いようもない。ただ稲妻において花火は、誰もが自分の思う形で打ち上げられる表現の一つだ。 稲妻の民は、自らの願いや思いを花火に込める。打ちあがった花火は刹那、されどその景色は、花火に込められた想いと共に永遠と心に刻まれる。調合の割合は短冊に記録され、依頼主へと託される。こうして人々の願いは、花火の調合という形に残るもので後世まで受け継がれ、永遠となる。

まとめ

秋瀬は雷電将軍と八重神子について以下の点を非常にいとおしく、好ましく思っています。

雷電将軍の永遠に対する強い意志

・八重神子が隠し通してきたに違いない寂しさ

・子供っぽいのはお互い様なところ

・それを隠したい神子とそれに無自覚な影

・互いに感謝と好意を持ち合わせていること

・でもお互いそれを素直に伝えられないこと