2024/03/20

同じものが好きな人だけの空間というのは、非常に心地が良い。もっと上手くなりたいとか、面白いことをしたいとか、そういう野心みたいなものを覗かせる人だけの空間は空気が良い。自分主導で「なにかやるぞ!」という気持ちはかなり薄い方だと思っているけど、やる気のある人が周りにいると、その人にだけは負けたくないっていう対抗心がふっと湧き上がる、ような気がする。

久しぶりの歌会に参加してきました。去年7月の「屋上と短歌」からおよそ半年。その間に発表したのはネットプリント2つと同人誌1冊のみ。 いい短歌と好きな短歌の違いはどこにあるか、良い短歌とはなにか、自分は目指すのはどこか、いろいろなことを悩みながらの参加になったと思います。


むかし小説のようなものを書いていたときから、日本語は常々リズムだと主張していました。本を読むときに頭の中で声に出す人が多いからこそ、声に出したときのリズムが一番大事だと思っていました。 だからこそ、出詠した短歌もリズムが印象に残ったという感想を頂いたときにとても嬉しかったことが印象的です。自分のこだわりが伝わるというのは、とても良いことですね。

2024/01/29

去年のクリスマス前にできた彼女から、別れを告げられた元旦。何が起きたのか理解できないまま、惰眠を貪っていた最中鳴り響く津波注意報、燃え盛る飛行機。二十数年の人生史上もっとも最悪な年末年始である。

あまりにもあっけない失恋の傷はそう簡単に癒えるはずもなく、ただひたすら忘れたくて色々な人に連絡を取ったと思う(その節は大変失礼しました)。数カ月後まで控えていた約束が全部なくなって、途端にからっぽな日々になった。まだ浮ついていた気持ちだけ、一人で弄んでいた。

お酒の勢いに身を任せてマッチングアプリなるものを始めてみたけど、それもうまくいく気配がない。約束の先延ばし。やり取りののスルー、人間不信が加速していく。いくら市場が相手に有利でも。

男性として生まれてきたことを憎たらしく思う。なんでだろうと思う。

ただただ誠実でありたい。約束はまもって、終わらせるべきことをきちんと終わらせる。もらった恩は忘れず、返せるものの精一杯を返す。そうして自分の大事なものをしっかり守って、生きていきたい。

2023/07/19

疲れとか、暑さとか、色々なものを言い訳にして、日曜日の振り返りを火曜の深夜(もう水曜)にやろうとしている。別になんの問題もないのだけれど、先送りで溜まった課題を消化している感じがして自分に嫌気がする。

日曜日は人生初の歌会に参加した。各自テーマに沿った短歌を持ち寄って、それについて意見感想その他諸々語り合う会。

自分が持っていったのは昔の自分を思い出して作った短歌。二度と叶うことのない「またね」という約束をいくつか抱えていて、その寂しさのことを思い出していた。覚えているのは多分自分だけで、それも余計に寂しさを加速させる。あの夜は雨が酷くて、それも余計に嫌。

歌会に参加することの意義は、他人の歌の読み方を直接聞ける事、「他人が歌をどう読むか」を言語として受け取れることにあると強く実感する。一人で創作して、なんとなくTwitterに流しているだけじゃ分からないことが歌会でふわっとあきらかになることもある。

「短歌は書いていないことを読むのが難しい」という主催の方の発言が、とても心に残っている。一首だけ出す場合だと、小説の「行間を読む」みたいなことができないんだと思う。
小説で言うところの三人称視点の描き方が短歌一首だけだと難しいということなんだろう。短歌は一首だけあると、どうしても「私の視点から見た」の意識が強くなってしまう。窓の外を降る雨は「私の目からみて雨が降っている」だし、君の声は「私の耳に届いている君の声」になる。

だから「わたし」と「あなた」がいる風景を俯瞰で切り取ったり、私と貴方とそれを取り巻く風景、みたいなのを全部まとめて表現し切るのが難しい。

創作のモチベーションは一枚の絵を作ることと似ているというのを、ぼんやりと考える。人を大きく描いた人物がではなくて、風景の中に人がいる、みたいな。主人公がいて、それを取り巻く人がいて、その人が暮らす街があって、生活があって、そういうものをつくりたいと思う。でもそれをするのに短歌はあまりにも不向きで、だから連作にしたり、短歌条例にしてみたりという手段があるんだと思うけど、その時、小説と短歌と連作と、その境界線はどこに生まれるんだろうと、そういうことばかり考えている。

2023/05/31

およそ3ヶ月ぶりの日記らしい。怒涛といえば怒涛。何もないといえば何もない。そんな3ヶ月なので当然、日記として書けることなど何もない。


仕事がある日は何か個人的な趣味をやる体力みたいなのはなくて、家に帰る→ご飯を食べる→原神のデイリー消化→ねるを繰り返している。

好きなゲームも「デイリー消化」なんて書き方をすれば途端に義務感がでて、すごく嫌な感じ。


 

二週間くらい前、文フリに行きました。一回前は好きな出店者が出ていなかったのでちょっと久しぶり。

大好きな出店者さんのところへ挨拶に行き、たくさん本を買い、フォロワーと会って昼から酒を飲む。イベントのたびに似たような過ごし方をして、それでもなお幸せだなと思います。

フォロワーと短歌の話をして、ちょっと火がついたので仕事の合間を縫いながらなにか出せるように頑張ろうと思いました。

フォロワーと一緒だから頑張れると思うので、続報にごきたいくだ

2023/03/12

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美しさとか綺麗とか可愛さとか、そういう人の動きの美というのは、その一挙手一投足が終わった後の指先や髪の揺れに全てが現れると、そう実感せざるを得ない。

ひらひらとゆれる衣装や、客席に視線を投げたその一瞬、そんなきらきらした瞬間に心を打たれることはあるかもしれない。でもやっぱりそんな時よりその所作の終わりの、目線を外したり、髪の毛が顔の動きに遅れてふわり揺れたり、そんな誰も気にしていないような瞬間に、その人が今の舞台や、その動き、楽曲に込めた本当の気持ちが伺えるような気がして。

 

共有している時間は永遠のような気がして、でもその実そんなことはなくて、だからこそ去り際のその一瞬が、どんな時より一層大事なんじゃないかと、友人と会うたびにそんなことを考えている。 今の関係だっていつまで続くか分からないから、なおさら別れ際が惜しい。

三年ぶりに会えた、五年ぶりに会えた、高校卒業以来、大学卒業以来、どれだけ長い時間がたっても、「また今度」が成立するのはきっと偶然じゃないから、それが当たり前だってだれも保証してくれないから、だからどれだけ時間が経っても、大事にしたいんです。自分のために時間を作ってくれる人を。どれだけ時間が経ってもいつも通り接してくれる人を。

2023/03/02

いいものを見たり聞いたりすると、「うわ、自分もこれやりたいなあ」って思う。

最近は仕事柄よく新聞を読むので、各全国紙の新聞歌壇を読むのが密かな楽しみ。色々と方向性はあるけれど、毎日歌壇が一番今っぽい短歌が多い気がする。きっとこのあたりは選者によるところが大きいのかもしれないが、毎日歌壇の選者は今っぽい短歌を選ぶ人が他より多い、気がしてならない。

小説でも短歌でも、いいものを見ると当然火がつく。自分もこれくらいできるはず、やりたいつくりたい、そういう気持ちがぶわっと湧いて、ただその後に一瞬で消える。

書きたいと思えば思うほど、書きたいことが自分の中にあまりないことに気づく。書きたい気持ちばかりが先行して、肝心の中身が伴わない。空回りといってもおかしくない。

書きたいものが無いからって何も生み出さない日々を何日も何日も何日も過ごして、そうして書きたい気持ちが徐々に徐々になくなっていくのを感じて、ああまたいつも通りって。でも心のなかで、何も書いていない自分が嫌いになっていってそれでまたぼんやりなにか書きたい気持ちだけがくすぶったままでいる。

お手洗いで手を洗いながら、オフィスの廊下をぼんやり歩きながら、駅で帰りの電車を待ちながら、どうしてこんなにも書きたいものが無いのか考えて、考えた結果、自分の中身がからっぽだったことに気がついた。ただ漠然と日々を過ごすだけで、自分の中に積み重なるものはなにもなかった。昔々に積み重ねたものは、とうの昔に吹き飛んでしまった。

自分には何もないと薄ぼんやりと思っていて、でもその裏ではいやきっとほんとうはそんなことなんて無いんだ、きっと何かあるはずだできることがあるはずだって信じていて、でも何もない空っぽな自分が真実で、それを裏付けるようにこの書きたいけど書けない今の自分がいて、駅から自宅までの道を歩きながら数度なきそうになる。

2023/02/07

Twitterのログを見ていると初めてパスピエを聞いたのは2018年らしい。それからずっとパスピエを聞いてきているわけではないけれど、新しいアルバムが出れば一通り流して、時たま思い出したように永すぎた春を聞くみたいな、そういう温度感だったと思う。初めてパスピエのアルバムのリリースを目撃したのは、more humorだった記憶もある。

ライブで聞きたいなという思いは頭の片隅にぼんやりとあり、でも自分から積極的にチケット情報を探しに行くみたいな積極性はなく、そのまま何年も何年も過ごしてしまった。

先日、友だちと好きなバンドの話になって、そういえばパスピエはずっと細く長く聞いているという話をしたときに、ふと結局ライブに行っていないことを思い出した。ugokubakuのチケット一般販売の知らせを見たのは、その帰り道のことだった。


 

半ば反射的にチケットを買って二ヶ月。ついに日曜、人生初のパスピエのライブに参加してきた。ugokubakuツアーファイナル東京。O-EAST

一日経ってもなお、パスピエの音楽は魔法だと思う。勇気をくれるとか、立ち直るとか、そういう類とはまた別の魔法。自分をここじゃない世界へ連れて行く、なんともふわふわした魔法だ。

Voのもつ独特な声質であったり、シンセサイザーの鳴らす蠱惑的な音だったり、そういった、パスピエの持ついろんな要素の中に魔法のかけらがたくさん、たくさん紛れ込んでいる。一度その音を聞けば、一瞬でここじゃないどこかへ飛べる。そんな気がする。

最近はどんなライブに行っても、音源とぜんぜん違う、という感想を抱いてしまう(あたりまえといえばあたりまえなんだろうけど)。それはパスピエも例外ではなかった。なんというかずいぶんと分厚くて、携帯で聞くより一層、浮遊感がする。

今回はukabubaku発売記念の全国ツアーだったけれど、セットリストにはukabubaku以外からもたくさんの曲が選ばれていて、それが僕にとってはとても幸いだった。曲としては&DNAとかmore humor収録曲のほうが実は好きだし、永すぎた春をはじめて聞いたときの衝撃を忘れられないから。それに、昔の曲の流れの中から繰り出されるukabubaku収録の最新曲は、単体で聞くより一層ぐっと心に響く。

曲を聞く割にパスピエはどんな人たちなのかをあまり知らなくて、だから初めて見たパスピエのメンバーの人たちは、とてもギャップで溢れていたと思う。

特にキーボードの成田さんの激しさは僕にとってはかなり意外だったし(キーボードは静かな人がやりがちという偏見もある)、ギターの三澤さんはそのいかつい見た目とは裏腹に可愛らしい挙動で、ファンの人から愛されてるんだなというのが素人目にもわかるほどだ。


東京に来て、もう4年も経とうとしている。東京には、秋田や群馬と比べると考えられないくらいたくさんの文化施設があって、美術館とか、映画館はもちろん、ライブハウスだって。

バンドはいつまでも続くものじゃくて、いつか解散したりなくなったりしてしまうものだから、行けるうちに、好きなバンドにはたくさん会いたいなと思う。あってその時だけの刹那のパフォーマンスを見つめて、そのたびにまた、その人達の音楽を好きになりたいなと思う。