2022/11/27

 

コロナになってから何年も行っていなかったライブに、今日久しぶりに足を運ぶ。恵比寿LIQUIDROOMは人生初。最後に現地でみたライブは、ねごとの解散ライブだったと思う。

配信ライブは何度か見ていた。赤い公園のラストライブ『The Park』、Maison book girl最後のライブ『Solitude HOTEL』、いずれも好きだったバンドやアイドルの解散ライブで、別に解散じゃなくてもライブは見たいのにと思う。

本日もそれは例に漏れず。 今日は金子理江、もといILIEの活動休止前ツアーのファイナルである。

Maison book girlが削除されて、少しの間気持ちのロスみたいなのが起きて。サクライケンタが新しいプロジェクトをやってるって知ったのはそんなとき。それがILIEだった。サクライケンタがプロデュースしているからなのか、言葉の使い方も、音の粒も、彼女たちにそっくりで、好きになるのに時間はかからなかった。 YouTubeにMVは4~5本ほど。その時は終わるなんて思っていなかったし、正直今だってまだまだ続くと思っている。そう思っていた。

たまたまTwitterを見ていたらライブの告知が上がっていて、申し込んだのが11月のはじめころ。活動休止になると知ったのは、そのもう少しだけ後のことである。

好きなグループや、好きなバンドがどんどんなくなっていくのは悲しい。もっと続きを見たいと思うし、いつだってステージに立つ彼ら彼女らを見たいと思う。それでもこちらの思いと裏腹に、最後のときは来る。


実際にステージに立つ彼女を見て、随分と雰囲気が変わると思った。アップテンポな曲の時の、力強いあの声はCDじゃもっと掴みどころの無い、少女のような声だった気がする。その一方でバラード、スローテンポな曲は、音源よりなお儚げに歌う。祈るように、願うように。

ステージ上で、間奏のたびに背中を向けていたことが印象的である。今の感情も歌に込めた気持ちも、歌声と左右に揺れるブロンドの髪が表情より雄弁に語っている。ただ、彼女が背中を向けるからこそ、あの曲たちは、聞いてくれるファン以上に、彼女の、彼女たちのための曲でもあるのだろうと、そう思う。

ライブハウスでステージの上に立つ演者を見る時、いつもステージ上と客席の間にある圧倒的な距離とか溝の話を思い出す。ステージの上は手が届かない聖域で、選ばれた人しか立てなくて、そこに立っている人は笑顔とか曲とかパフォーマンスとか、下界にいる人が求めるものを与えるんだって。だからステージに立つ人はかみさまだって。

ステージとかみさまのことを初めて考えたのは、立花理香さんのライブだったと思う。立花さんは良くステージから降りてきて人間の一番近くで歌うから、それでいて今の場所からの飛翔を歌うから、立花さんは人間に一番ちかいかみさまなんだって、そんなことを考えていた。

 

今あらためて、ステージの上に立つ人はかみさまだと思うけど、ILIEはまた、別の神聖さを持っていたように思う。

彼女は、「言いたいこととか、好きな気持ちははこれまで歌った曲に全部込めたから、あとはそれを汲み取ってください」と、人間に解釈を残した。「そんなに重く考えてないから、またふらっとやりたくなったって戻ってくるかもしれない」と、淡い期待を残した。「活動を休止しても、曲は残るから。みんなが聞いてくれる限り、ILIEはなくならない」と、楽曲の中に存在のかけらを残した。その一つ一つが、かみさまらしい。


帰り際、見送り回なるものがあるらしいので、見送られて帰ることにした。

かみさまがステージから降りて、人間と同じ世界に降りる。

さっきまで精一杯歌っていた彼女を見て、もう彼女に会えないことは分かっていて、それでもなにを伝えていいかわからず、無い頭でひねり出したのは「今日のライブ、とても良かったです」の一言だけだった。