2019/06/10

文章を書く人間として、体験したものしか書けないというのは甘えじゃないかと思うことは多々あれど、描写する時の解像度は経験していたほうが100倍良くなるだろうと常々思います。
体験したことのないことを、あたかもそうしたかのように書くとき、書く人間として真価を問われるのではないかと思いました。

社会人になってからおよそ2ヶ月が経ち、大学生だったころとはまた違うきらめきが人生にあると感じています。

大学生の頃は、図書館と、先生の研究室と、自分の部屋と時々バイト先を往復するような、傍からみたらだいぶジメジメした生活を送っていましたが、それでも自分の人生はキラキラしていました。それは、自分の好きなもの(経済学という学問だったのですが)を追求していたからでしょう。議論を交わし、学びを深め、小さくとも新しい何かを発明していく、その繰り返しは間違いなく楽しかった。

社会人になった今、人生のきらめきはおそらく、体験したことのない何かに囲まれているから。地味な仕事も多く、学生の頃の仕事の理想とはだいぶかけ離れていると感じながらも、そのところどころに面白さを見つけては、やっぱり楽しいと思う日もあります。

青春は、高校生の特権だと思っていた時もありました。それは自分の書いている小説が、バンドをする高校生をテーマにしたゲームの二次創作だからでしょうか。キラキラできるのは、若い人の特権だと思っていました。
けれども、大学生だって、社会人だって、輝けないわけじゃない。大学生には大学生の、社会人には社会人の青春、みたいなものがあるんだと思いました。

島本理生先生の『クローバー』は本当に自分のしたいことを見つける大学生の青春を捉えていたし、2016年に放送された『NEW GAME!』というアニメのキャッチコピーは「はたらくって青春だ」でした。

輝いていたあの時代も、藻掻き苦しんだ苦痛の日々も、ある日見返せば立派な青春になっているのでしょうか。

 

クローバー (角川文庫)

クローバー (角川文庫)

 

 

 

 

この記事を読んで感じたことを書きました。

https://muriyada444.hatenablog.com/entry/2019/06/09/211116